s45年8月15日夜 御理解

  台風で倒れておりました正面の大きな木が元どうりに立ちまして、何ちゅうですかあの車は?クレーン車と云んですか、クレーン車で立てていただいて、今朝から高橋さんが
お参りになって、早速あれを手配して下さって、それもまだ何日先だろうと云うことでしたけれども今日すぐ正義さんが来てくれまして、
  その時に私は今日は出来ないと思ってましたが、御神願に「よちよち歩きの子供におやつなんかをやる時に、後にこう隠してからしましょうが、ここまでおいで、とか云って何か持っているものを隠してから後にひざって?ゆくところ」を頂いた。
  頂けんようであるけれども、「すぐ頂けるなあ」と思っておりましたら正義さんがすぐやって来てくれましたがね。おかげというのは、そんなもんではないか。
  おかげというのは目の前に見せびらかしてはない、「ください」と子供が親に云うた時に、やれるものならやりたいのが親心なんで、けいども、ここまでおいでと云った処まで行ったときに、一歩でも歩かせたい、一歩でも歩き習わせたいといった願いが持っているものを後に隠しながら、ここまでおいで、ということになるんじゃあないか思う。
  私達は、後一押し、ということを申しますよね。信心さしていただいて「もうとてもむつかしかろう」いう時でもそこんところを、前に進む、前向きに一歩でも二歩でも近かずかせていただくところに、やはり、下さる。神様はくださろうとしておるのだから、願っとる。それをこちらがいただき切らんで、とうとうお蔭いただけなかった、と帰ってゆく後姿を親が見た時に、親自身も寂しかろう、悲しい事だと思います。
  いただきたいと思うものも、もうひとりでいただけないことはこんな残念なことはないと思います。  どうぞ